馬券が的中した瞬間の喜び…
応援している馬が勝った時の快感…
体の底から鳥肌が立つ高揚感…
我々は、競馬の中にある「人と馬のドラマ」に魅了されています。
「競馬で儲けたい」「万券を当てたい」
そんな幻想にいつまで振り回され続けるつもりですか?
今のままのあなたでは“絶対に”勝てません!
本物の情報を握ってないのに、嘘がまるで本物かのように作られている競馬予想会社の数々。
言葉巧みな誘惑に負けてませんか?
本物の情報がない中で、宝くじのような馬券を買わされていることに気づかずにダラダラ続けてしまう…
的中・不的中を繰り返しながら、95%の敗者から“5%の勝者”になるために。
全部が当たるとか、必ず万馬券が取れるといったような幻想は言いません。現実と向き合いながら勝つ確率を高める。
5%の選ばれし者へ、それが週刊競馬ナックルの提供です!
同じ公営ギャンブルとはいえ、競馬とパチンコでは、大きな違いがあります。
競馬情報会社という立場上、パチンコ・スロット業界への差別発言は控えますが、そもそもパチンコは運営全体が明確でない(都市伝説風?)
パチンコ台やその裏側のシステムまで、開発するのはすべて人間。
磁器や電圧、電流、遠隔操作されているなど、不透明な事ばかり…
どの記者に質問しても同じ答えが返ってくるのですが、競馬には不透明性は存在しません。
それよりもスポーツとしての側面であったり、人間と馬「人馬一体」のドラマが生まれやすい環境があります。
2004年天皇賞春の「イングランディーレ」のように、人気の全く無い馬が勝ってしまう番狂わせがあったり...2013年凱旋門賞でオルフェ&キズナを破った「女傑 トレヴ」のように、破格の安さで落札された馬だったのに、凄いレースを次々勝ったり...稀代の天才騎手が事故で半身不随になってしまい、その息子「福永祐一」が現在トップジョッキーとして活躍しているなど、探せば結構ドラマチックなことがあったりするんですよ。
パチンコは、人間が作った機械と自分との勝負です。まさにギャンブルだと思います。
しかし、そこに残るのは無機質な血の通っていない物語だけでしょう。
「競馬との決定的な違いはそこにあります」
競馬は人と馬、血の通っている者同士の闘いであり、そこに多くのドラマが存在します。
ギャンブル的要素(お金を稼ぐ)と、スポーツ的要素(背景のストーリーやドラマ)を同時に楽しめるのが競馬最大の魅力であると言えます。
パチンコ台の結果は外的要因では変わらないでしょう。もちろん台ごとに情報や設定は違いますが、競馬程勝つことに“情報力”は必要ありません。
生きた馬が走る競馬だからこそ、外れることだってあります。
たまに「他の競馬新聞の方が当たる」というお客様の声を頂くことがあります。
規模の大きい競馬業界だからこそ、誤った情報に振り回され、今まで散々な目に遭ってきた人も多いだろうと思います。
私たちは皆さんを騙すつもりなど一切ありませんし、不的中の文句ならばいくらでも真摯に受け止めます。
その叱咤激励を励みに、次こそはと弛まぬ努力を続けています。
ですが、ここでもう一度良く考えてみてください。
どの競馬新聞にも、どの競馬雑誌にも、色々な予想家の予想が載っています。
大勢の予想家が予想するからこそ、的中する確率も上がります。
競馬新聞って色んな予想家が予想してるのに◎が一致しませんよね?
つまり、1つのレースに対して何通りもの予想があるわけです。
予想を出している大勢の予想家の中で的中が出れば、例え自分が全ての馬券を買わなかったとしても、それは的中を出した雑誌や新聞に感じるでしょう。
ですが、果たして何十人と予想家がいて、何十通りもある買い目情報で「当たる新聞」「当たる雑誌」と言えるでしょうか?
当たるかどうかも分からない馬券を無駄に購入するのですか?
結局は「誰の予想を選ぶか」アナタ次第であり、新聞も雑誌も全てアナタ任せなのです。
これでは、一概にどの新聞や雑誌が当たるかはっきりとは言えませんし、全ての馬券を買っていては回収率は何%になることか…
競馬と言うのは何かと状況が「変動」する賭け事です。
ルーレットや丁半博打をみてください。
常に勝負の土壌は一定ですが、競馬は違います。
例えば馬場1つ見ても、昔より馬場は高速馬場になったと言われていますし、他にも、競馬は季節的な影響や変動も大いにあります。
「よく当たる」が必ずしも「よく稼げる」とは違うのだという事を、どうか分かってください。